本日 10 月 01 日は筑波大学アドミッションセンター入試 1 次の発表日だが、わたしはまず 0 次 (書類書き) の段階で落ちたので他人の結果を見て自分のことのように一喜一憂するしかやることがない。どうしてこんなことになってしまったんだ。
どうしてやめたんですか?
自己推薦書書いてたら精神から変な音がするようになったので、本格的な疾患に発展する前にやめた。総合型選抜 (AO 入試) では今までの活動と入学後の展望を示す必要があるのだが、全然何か活動をしたわけでもない無為な 3 年間を過ごしてきたことが直視できなかった。床を叩いたりよくわからない声でうめいたり目から水が出たりしたがモニターを割ったりスマートフォンを投げたり大声を上げて近所に不審がられたりできていないところに自分が狂いきれないことを感じてそれもまた嫌だった。
インターネットに目を向けてみなさい!世の高校生がなんとかかんとかに参加したり OSS に貢献しまくったりしているなかでおれは 1 人パソコンに向かってぼーっと TypeScript をいじって Twitter を漁っていただけではないか。あれほど潤沢にあったはずの時間はいったいどこに消えてしまったのか?こうなってしまっては将来の展望など書けるはずがなかった、地に足のついていない人間がいやに肥大化したビジョンを掲げるのが嫌いでそんな自分に刺されて死んだ。来年改めて殴りに行くと周りに言った気がするが 8 月に入ったらまたぽにゃぽにゃ言い始めて懲りずにまたこれを繰り返してしまうのだろう。
自己紹介
アスペルガー症候群と診断されたことがある (キーボードで打ちやすいので以下 ASD と呼ぶ)。もののたとえに批判を飛ばして若干のトラブルが発生したり、1 番人気よりオープンソースの 3 番手や新参の 5 番手を好んだりする自分のことを「それっぽい」な~と思いながら暮らしている。ASD には表情を読むのが下手という特徴もあるらしいが、そもそも目を合わせるのが苦手で人の顔をろくに見ていない気がする。しかし診断が乱発されているという噂もないわけでもないし ASD という自覚のもとで無意識にそうなるよう行動しているのかもしれない。
昔からネットサーフィンが好きな子供だった。2010 年代インターネットの負の文化に触れすぎたのか、失敗を過度に恐れる人間に育っている。慣れたことはできるが初めてのことや苦手意識のあることを実行に移すことがかなり不得意で気がついたら Twitter ばかりしている。学校でもよくなんらかの失敗をして社会的信用が失墜する想像ばかりしてはドキドキしているんですけど、これって恋ですか?
高校の愚痴
失敗が怖いので高校受験で舐めプして工業高校に行ったけれどとても後悔している。学科配属が 2 年生で行われるシステム (東京大や電通大にあるやつ) のおかげで実際まともに情報科に使える時間は 2 年間しかないし、その 2 年間はだいぶ COVID-19 のお世話になった。
COVID-19 を加味したとしても 1 年間 C 言語をやってポインタはおろか関数や構造体どころか配列にさえたどり着けないプログラミング、大学で機械や電気を学んだ教員にブール代数を教えさせる、学校として提携してる企業に所属していたことがありソフトウェアに強い教員をまったく関係ない高校に異動させる、校則が無駄に厳しく運用が雑、レポートが紙、リースの PC がゴミなど文句がいくらでも出てくる。ネットワークにだけはやたら強いので LAN ケーブル抜き差し係養成科に改名してはどうか。
このようにボロボロな専門教科に圧迫されているので数学は 12A が必修で B が選択で、物理と化学には基礎という符丁がついており、とても理系とは名乗ることができない。共通テストを受けるなら自分で参考書を買って勉強すればいい (し、自分にはそれができなかった) のだが、どこぞの大学から指定校推薦が来ているのに数学 3 の履修が要求されてどうあがいても受験できないというのには驚いた。英語はとうとう中学範囲を脱することがなかった。
卒業研究ではメンバーに JavaScript を教えるところから始める必要があり、人にプログラミングを教える経験が少ないし HTML/CSS/JS はなかば母語化しててどうやって覚えたのかすら自分ではもうわからないのでどう開発を進めていいかわからなくなっている。学校がダメならダメなりにクラスメイトと「今どき Borland C++ Compiler とかいう C99 使えない処理系で C 言語教えて Society 5.0 とか言ってるのカスだよなw」という感情を共有したかった。Borland C++ Compiler の著作権表示は今の高 3 が生まれた年より 3 年も前なのだ。
このような場所なので成績優秀扱いを受けているが、インターネット上には自分よりすごい人間が掃いて捨てるほどいることを知っているわけで、自分がこれほど大きい顔をしていられるこの学校のレベルの低さ、受験が怖くてそんな学校を選んでしまった過去の自分への憎しみがたまって精神がすり減っていた。不満を募らせていても直接文句が言えず、その分を自力で埋め合わせることもできず、これほど負担になっていても辞めるという選択肢が取れないまま 3 年になってしまった自分もまた嫌いだった。
どうやら顧客が本当に求めていたものって高等専門学校ってものにあったらしくて、ここしばらく高専生という生き物が Twitter でウキウキしているのを見ると羨ましくてたまらない病気を患っている。
そのような精神に受験を突っ込んだら均衡が崩れて 0.4 不登校ぐらいになってきた。学校というのは授業に出ないと卒業できないらしいので一応完全な不登校にはなっていない。
まだ薬漬けではない
こんな私にも理解のある両親がいます!幸運にも適応障害の親 1 と不安障害の親 2 の間に生まれついたので精神科行きて~と言えば行きつけの精神科とかいうものが 2 個も紹介されていいですね。ただまあ理解があるだけなので子が精神崩してはにゃはにゃになっていることに「精神疾患は甘え」みたいな対応をすることがないという程度で、こういう悩みって人と人との間で共有し合うのは困難なのでそんなアドバンテージあるわけではない。
しかしこういう気質って遺伝的な要素もあると思っていて、普通に親が原因の一端を担っているのですべてマッチポンプではないか、究極的には親が子供にどれほど献身的なサポートをしてもそれって誕生させたことへの不完全な贖罪にしかならないんだよな~、といった意見を持ちつつある。
精神科では規則正しい生活をしろ、散歩して陽光に当たれと言われた。それが難しいから来てるんだよなという気持ちがありつつも、安易に薬物出すわけにはいかないという配慮っぽいものを汲み取れているので実は ASD じゃないかもしれない。
結局何が欲しかったんだっけ?
大学で学びたいとか研究したいとか以前に周りにプログラミングについて駄弁れる人間がほしい、そういう人間に囲まれたいという欲求が中学のときからずっとあったし、高校選択の理由も結局それだし、筑波大志望した理由もコンピュータ・オタクが Twitter 上からたくさん見えることなのでだいぶ一貫している。労働したほうが技術者に囲まれて楽しいのかもしれないけどこれも幻想じゃないか?今の高校に抱いていた、任意の高専や筑波大学に抱いているような勝手な期待で、現実を見たら勝手に失望して勝手に体調を崩してメンヘラドキュメントをしたためてしまうのではないか?未来が怖い、何もわからない…
まとめ
いかがでしたか?
- 自信がまったく失われた
- 労働などの手段で金と自信が欲しい
- IKEA のサメ
- 能動的 なり方 [検索]
- 過去が憎ければ未来も怖い
- 17, 18 歳とかいう精神的に不安定な時期に受験とかいう人生をまあまあ左右するイベントあるの普通にムカついてきたな しばらく労働してから再入学とかが普及するといいですね
- Twitter 上で句点の丸 (。) を使いがちで環境に不満を持ちつつめちゃくちゃ自分に自信がなさそうな人間が苦手だったのだが、自分に似ているからということに気がついた